五つ星シェフの感性

新規事業立ち上げに伴いわが社は3人のシェフを雇った

 

Hくんはその中の一人

 

面接では、モジモジして人とのコミュニケーションが苦手な一面をのぞかせていた

 

何度もあくびをしたり、頭をポリポリ掻いたり、携帯電話をチラチラ見たり

 

わたしも思わずため息をついたが、とりあえず採用したのは彼の経歴ゆえ

 

Hくんはハノイでも有名な5つ星ホテルのコールドキッチンシェフとして4年間働いた経験がある

 

面接の際、当時彼が作ったという料理の写真も見せてくれた

 

目の前にいる冴えない風貌の若者が手掛けたとは思えないほど見事な”作品”だ

 

こうして入社が決まったHくん

 

ある日「明日はぼくが皆にランチをご馳走しますので、お弁当はもって来ないでください」と社内に触れ回った

 

”5つ星シェフがランチをご馳走してくれる”

 

店舗スタッフだけでなく、20名近い総務部やソフト開発部の社員たちも色めき立った

 

さて、次の日の朝、Hくんは大きな透明の袋をまるでサンタクロースのように肩に背負って出社

 

袋からは何やら甘い香りがプンプンする

 

「暑いと溶けちゃうんで袋開きますね」とHくん

 

見るとそこにはチョコレートまみれのドーナツたちがひしめき合っていた!

 

別の容器には、これまたぎっしり詰まった甘そうなシュークリームたち!!

 

一抹の不安に駆られつつ、「きっとこれは食後のデザートだ」と自分に言い聞かせるわたし

 

もう一つのパックには何やら怪しげな色の”おまんじゅう”

 

いよいよ雲行きが怪しくなってきたが、「いやそんなはずはない。なんてったって5つ星シェフなんだから」と深くは考えないことに

 

さて、お昼ご飯の時間になって、Hくんから皆に”ランチ”が配られた

 

わたしの隣で”怪しげな色のおまんじゅう”にかぶりついた甘党の総務部副主任が「これ、おいしい!中にカスタードクリームが入ってますよ」

 

「何?!カスタードクリーム??じゃ、もしかしてこの緑は抹茶クリーム?そいでもって、この茶色いのはチョコレートか??」

 

ありえない!

 

ランチが全て”デザート”だなんて!!

 

そんなわたしの刺すような視線をよそに、無言で”ランチ”を配るHくん

 

シェフの手作りスイーツならともかく、どっかのパン屋で買ってきたとしか思えない代物たち

 

皆、微妙な面持ちで甘ったるいフワフワのお菓子を腹の中に詰め込んだ

 

 

5つ星シェフの感性は大丈夫か??

 

そう感じたのはわたしだけではなかったはず

 

あれから数カ月が経った

 

先日、コールドキッチンのシェフとしてHくんが手掛けた料理を試食させてもらった

 

その結果、”お菓子ランチ事件”が軽いトラウマになっていたわたしの不安は見事に吹き飛んだ

 

キッチンで働くHくんの姿は、面接の時とはまるで別人

 

堂々を胸を張り、キッチン補助のスタッフにテキパキと指示を出す姿にはアラフィフ女子でなくともキュンとくる

 

今後の活躍が実にたのしみである